今回は大阪城について少し
正しくは、大坂城ですけどね w
昔は大坂と書きましたが、大坂の坂が「 土に返える 」と
読める事を嫌って読み方書き方が変わったと聞きます。
定着時期は江戸時代からとか、明治からとか諸説あるみたいです。
大坂城と言えば、豊臣秀吉です。
ですが、現在の大阪城は徳川家康が築城した土台の上にあります。
徳川家康が豊臣家を滅ぼした後
豊富時代の石垣やら何やらを全部埋めて、その上に今の大阪城を
築城しました。
江戸時代や、それ以降、何度か焼けて
今の大阪城は何度目かの再築モノで
現在のデザインも徳川時代と豊富時代のモノの混合です。
🏢 鉄筋コンクリート造り 🏢
ある意味、ワヤクチャです。
もっと、ワヤクチャなのは・・・中身です。
知ってる人も多いと思いますが
大阪城の中は超近代的です。
エレベーターもしっかりあります。
バリアフリーを重視した作り・・・。
個人的な意見としては 「 古代のモノに 」
バリアフリー化はねえべ!
と思います。
まぁ、今の大阪城は巨大レプリカなので
どうにでもどうぞ!ですけどね。
因みに、豊臣秀吉時代の城の壁は黒です。
徳川の天下になってから壁は白になりました。
なので、壁が白いモノは徳川方で黒いのは豊臣方
ってイメージになります。
理由は築城方法の進化みたいです。
漆喰塗りの白壁の方が火に強いからです。
なので
豊臣時代のモノでも後年は
漆喰塗りの白壁になりつつあったみたいです。
白壁へと完全移行する前に秀吉が死んでしまい
徳川 VS 豊臣 となって以降に
築城したお城は殆どの壁が白い筈です。

今の大阪城

豊臣時代の渋くね!?
もう一つは天守閣です。
お城!と言えば
立派な城郭があり、天守閣がそびえてる!って感じです。
でも
そうなったのは、織田信長が出て来たあたりから
みたいです。
それまでは、堀を掘って塀で囲んだだけとか
結構、安直な作りのモノが主だったみたいです。
現大阪城が立てられた場所は
以前、石山本願寺(浄土真宗の寺院)があり
顕如、率いる武装坊主集団と織田信長が戦いました。
安直な作りなお寺でさえも10年以上もの長い歳月を重ねて
落とせなかった訳です。
それを一緒に信長配下として戦った秀吉が
その場所に築城する事を思いつき
大坂城が立てられたのでしょうね。
因みに、徳川家康は好きじゃないです。
豊臣秀吉は天下を取るまでが好きで、天下を取ってからは
最低なんでダメですね。w
戦国時代が好きな人しか、こんな話共有出来ないか・・・汗