2018年10月30日

冤罪には負けない!



両親の仲が良い家庭に育った子供は高学歴になる


統計学から見た結果なのか、精神医学的な見地からのモノなのかは知りませんが

自分は見事に中卒です。💦



親父は酒乱で粗野な人格
母親はどんなお金でも博打につぎ込んでしまうギャンブラー
完全なるヤクザ家庭

自分が中1の時に両親が離婚
お陰で俺は早くから自立してますw

俺が生まれた事をキッカケに親父は組員から足を洗って
カタギの仕事をしていた筈なのですがぁ・・・
今回の話は親父も母親もパチプロをしていた時の話です。
どこがカタギや!!!w

自分が小学校高学年の時に両親は地元町の駅前のパチ屋で
パチプロをしていました。

後々に知ったのですが
パチプロとは名ばかりのヤクザとしての用心棒みたいな存在だったとか

因縁をつけて来る客を懲らしめたり
違うヤクザが来た時の為に・・・。

なので毎日、パチンコに行って必ず玉が出る様
釘師が細工した台をあてがわれて金に換金していたみたいです。

それを

「仕事台」と呼んでいました。

それで可也、儲けていたみたいです。汗だく

ガキの俺には単純に毎日、両親がパチ屋に居る
用があると駅前のパチ屋に会いに行く日々です。

万引き家族的な映画の題材になるレベルっしょw


そんな家庭なので当時、お小遣いは他の家庭の子と比べると
良かったと思います。
今の時代でも小学校高学年で一日お小遣い200円貰っている子は少ないかもです。

昭和50年頃に毎日お小遣い200円を俺は貰って居ました。
単純に一ヶ月6千円程度です。
そもそもそんなルールに沿って生きるのが苦手な親なので
時には1000円をくれたり、もっと多い日も多々ありました。

なのでその200円ルールも短期間で崩壊した記憶がw

いずれにせよ
小学生の子供にはそんなにお金を使う機会はありません。

なので結果的に必要な時にパチ屋に小遣いを貰いに行く形となり
それ以外のお金は貯金箱へチャリン✨と母親が入れてくれる事になりました。

毎日パチ屋に親が居ると書きましたが
他の博打を打ちに行っているのか何をしていたのか知りませんが
パチ屋に居ない日も結構ありまして

その時にお小遣いが必要になったら困ります。
そういう時はタンスに仕舞ってあるその貯金箱をこっそり開けて
必要な分を取っていました。

一応、自分のお金ではありますが
勝手に開けてお金を取ってる事には多少、罪悪感はありました。w


ある日の事です。


またまたお小遣いが欲しくてパチ屋に行ったのですが
親が見当たりません。
なので家に帰り
貯金箱からお金を出そうかと思ってタンスを開けたのですが
その貯金箱がありません。

「ん?違う場所に変えたのかな?俺がこっそり取ってる事がバレたのかな?」

と思い

夜に帰って来た母親に

「お母ちゃん、俺の貯金箱どこに行ったん?」

と聞いたら

「あぁ、あれは違う場所になおした」

との事でした。

その話はそれで終わったのですが
その日の夜中に親父に起こされます。

「ヨシカズ!起きろ!」

「何〜?」

「お前、タンスの中のお金取ったんか!?」



自分はあの貯金箱の事と思い

「あれはお母ちゃんが違う場所になおしたんちゃうん?」

と言うと

「何に使ったんや?言ってみろ!!!」


よくよく聞いてみると、その貯金箱の事では無く
タンスに仕舞ってあった数十万円の金が無くなっていると言うのです。

勿論、自分は知りません。そんな金がタンスに眠って居た事すら知りませんでした。

が親父は

「お前が取ったに違いない!正直に白状しろ!」


自分の実の親に完全なる冤罪を吹っ掛けられている〜😖😖😖

でも取ってないモノは取っていません

いつも親父の暴力に震える日々を送っていた自分ではありますが
冤罪だけは断固拒否です!

親父はついに

「ほんなら、警察に連れていくぞ!ええんか!?」

「それでも良い!取ってない!」

「ほな、今から連れて行く!服着ろ!」


と真夜中に出かける準備をさせられて
駅まで二人でトボトボと歩いて行きました。

駅に着いても真っ暗で勿論、電車なんか走っていません。

そこまでしても頑なに拒ひる自分を見て
嘘をついてないと思ったのか
そのままUターンして帰宅

そこからどうしたのか覚えて無いのですが
それ以降はその話は有耶無耶になりました。

因みに親父は島根出身で島根弁が抜けない人でしたので
言葉の言い回しは大阪弁に変換しています。W


さて、ある日の夕方頃の事です。

晩ご飯を一緒に食べに行く為、両親が居る駅前のパチ屋に向かっていると

遠い親戚の俺より二歳下くらいの男の子と近所の中学生の兄ちゃんが
チャリンコをニケツしながら話しかけて来ました。

「よしぼー(俺)家に誰かおるー?」

「おれへんよ、今から皆でご飯食べに行くから」


と普通に会話をしてスレ違いました。

親戚の子はチャリの後ろで大きな電灯を持っていました。


家族で外食を済ませ
皆で家路につく時

自分だけ

「おばあちゃんの家に寄ってから家に帰るわ」


と途中から親父、母親、妹の三人とは別の道を歩いて行きました。
おばあちゃんとは軽い会話をしただけで自分も直ぐに家路につきました。

家まで50mほどの距離になった時
突然、家の方から

何者かが走り去る陰が!

そしてその後を親父が

「待て〜!!!」と追いかけて行きました。

何事か!?と走って帰ると

母親が・・・部屋で、へちゃっててw

玄関を開けたら中からライトの光が左右に揺れたらしく

直ぐに泥棒が居ると分かったそうです。
親父が間髪入れずに追いかけたのですがベランダから素早く逃げてしまった。

ベランダには犯人の靴が脱ぎ捨てられていたとか

それで実は
パチ屋に向かう途中に
二人に声をかけられた事、その時に大きな電灯を持って居た事を
告げました。

ベランダに残された靴も明らかに大人の履くようなモノでは無かったので

母親の従姉妹の子供の犯行なのは明白だと言う話になりました。

なので、警察へ届ける事は止めました。

俺がタンスの金を盗んだと疑われた原因がその時に判明したのでした。

にしても自分の息子を第一に疑う父親
親戚の家に盗みに入るガキ

ホンマ、カオスな環境ですよねw

お前のせいで俺が泥棒扱いされたやないか!
反省しろ!タカ坊!!!



家に泥棒が入った後に一人で帰るのって不気味ですよー。
また誰か居るかも知れないって思いながら暗い部屋に入るんですからー。冷や汗




それから数年が過ぎ、自分は中学二年になりました。
母親とも別れ、新しい女と暮らし始めた親父

ある事件をきっかけに(この事件はまたいつかw)
俺は父親に引き取られる事に

自分の部屋も与えて貰っていたので
特にもめ事も無く静かに学校へ通って普通に生きて居ました。

がある日、親父が

「ヨシカズ!!!お前!!!こいつ(義母)のお金取ったんか?」

これは先ほどの話の様な貯金箱から金を抜いていたとかの
伏線はありませんので

即、拒否です!w

「取ってない!」

「こいつのヘソクリ2万が無い言うてる!お前が取ったんやろ!?」



それにしても
お前には学習能力がないのか!?数年前に冤罪を吹っ掛けた反省は無いのか?!w

何故に真っ先に自分の息子を疑うのだ!?

その時は俺ももう14歳なので
父とにらみ合いにもなります・・・よね。

でも親に暴力を振るうなんて考えは毛頭ありません。
なので冤罪を振りかけてくる親父をはね除けて

家を飛び出しました
しかも裸足でw
捕まったらボコボコにされるので靴を履く間なんか有りませんw

そしてそのまま、リアル母の居る町まで行って
事情を説明し、もう帰りたくない!と告げ
暫く、母親の元に居ました。

とは言え、その家もチンピラが日替わりで出入りする様な
極悪な環境でしたわ。涙

暫くして、その話も有耶無耶になり
俺はまた連れ戻される事に・・・。
まぁ、学校もあるので

静かに必要な時以外は部屋に籠もっていました。

少し日が過ぎまして
また、親父が

「ヨシカズー!」と呼びます

「何〜?」

二階の部屋から顔を出すと

「お盆の下にお金を仕舞ってた事を忘れただけや言うてるわ。だから出てきたわお金。ほら、お前謝れ!」

「ごねんな!(素っ気なく)」←義母


それで終わりけ?


しばくぞ!!!


そんな親父が先日・・・旅立ちました。











posted by Leach at 21:08| 大阪 ☀| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年10月29日

台風と親父



あーーーブログ書かなアカンなぁーーー!

あぁぁぁ!これ書きたいなぁーーーー!

良し!これを書こう!!!




なーーーーんて思いつつ
日々襲い掛かる想定外な出来事に追われ
めためた期間が空いてもたたたた。。。


でも!今日こそは!書く!w


相変わらず前置き長いけど💋


先ず、本日お知らせする事は・・・

父身罷る

です。


言うても亡くなったのは9月下旬ですので
もうそれなりに日は過ぎましたが・・・。

このブログを遡れば自分と父の関係性はお判り頂けるとは思います

んな面倒な事はしたくねー
と言う方の為にも少し説明します

父は自分が中学一年生の頃、母(故人)と別れて新しい女と一緒になりました。

自分も中二から三年に掛けて、その新しい母と共に暮らす事になりますが
その母の金を俺が盗んだ!と疑われ
反抗して裸足で家を飛び出し、そのまま実の母の所に逃げましたw
(この辺の話もまたします)

まぁ、色んな事があり
俺と父親は会えば常に喧嘩必須です。勿論、自分は暴力は振るいませんよ
振るうのは一方的に父親です。
なので、同じ空間には居れない者同士なのです。

今、現在、同胤同腹の妹は既に故人で
戸籍上では他に、腹違いの妹二人と弟二人が居ます。
彼らに取っての自分はある意味、幻の兄・・・。

疎遠になってもお互い何の問題も無い関係性です。
正直、自分は親父と縁を切りたいとも思って居ました。

が、父の妹、所謂、自分の叔母とは
ずっと仲良くさせて貰っているので
その叔母との関係性から、父との縁が辛うじて残っていたに過ぎません。


所が、7月下旬に、その叔母から
父がもう長くないのでお見舞いに行ってあげてと連絡が入りました。
顔を合わせば常に喧嘩の間柄である事は周知の事実ではありますが

以前に肺気腫で片方の肺が潰れ
連絡が来た時には残りの肺も癌に犯されており
以前の様な親父では無い事は理解出来ます

が、逆に自分が行く事で死期が近い事を教える形にはなるのでは?
と言ったのですが

父自身が

「あいつはワシの息子じゃからきっと来る!」って言ってる

との事で行くことにw

因みに父親は島根出身で、もうずうううううううっと大阪に住んでいながら
島根弁が抜けない人でした。日本人皆が頑なに生まれ育った土地の
イントネーションを守るべきだと思う俺は
その部分だけ父親はエライと思ふ。(そこかい!)

って事で
長女の家で療養中の父を見舞いました。
もう自力での呼吸も困難な状態で酸素吸入をしていましたが
会話は出来る状態だったので
少し他愛も無い会話をして

お土産とお金を渡して帰りました。

本人は気丈に頑張って生きるって言ってましたが

それから2日後に状態が悪化したとの事で入院したと連絡が入り
再度、見舞いに行きました。

医者曰く

痛みが出ると暴れるので
その場合は痛み止めで眠らせる事になります。
そして、痛み止めが効かなくなってくると
最終的にはモルヒネも使用します。
その段階になると長くは持たない

との事でした。

そしてまた数日後に妹から
親父が病院で言う事を聞かないのと
軽く譫妄(せんもう)が始まったので

本人のストレス改善の為にも自宅療養が良いのでは?
と勧められ再度、自宅へ戻す事になったと連絡が入りました。

お陰で、また少し持ち直したのですが

遂に九月の下旬に再度、悪化し入院します。
この時は、もう会話も出来ずに苦しそうにしていました。
俺が傍に行っても目が全く合いません。
正に宙を見つめる感じです。

妹達を先に返し、親父と俺が二人になった時
さっきまで苦しそうにしていた親父が大人しくなり
宙を見ていた筈の目で
俺をじっと見ていました。

何か言いたかったのかな・・・。

もしくは朦朧とした状態で俺を見ていただけなのかな・・・。

そこは分かりません。

そして二日後に亡くなりました。



ここで大きな問題が!!!

俺が喪主!?

正直、親父が亡くなってしまっては
俺、アウェーなんですけど?汗

叔母が居るものの
後は親父の家族です。戸籍上では繋がっているとは言え
これまでホンマに疎遠だったので…。

にも関わらず、お前が長男だから喪主をやってくれってーーー?汗

まぁ、母親が亡くなった時も
妹が亡くなった時も俺が喪主を務めました。

ですが今回は
親父と腹違いの義母との間に出来た長男も居るしねーーー。

最初は断ろうと思いましたが
その長男は現在東京で仕事の都合で戻れないかも知れない
と言う事と、家族葬で親族だけで見送る形だから・・・

と言う事で

まぁ、最後位はちゃんと送ってあげよう!と引き受けました。
言うてもマジの長男は俺なので・・・

世間の長男の皆さん!!!
その覚悟ありますか!?w

前回のブログで書きました物凄い台風の話ありますよね?
その後に、また台風が来たでしょう?
また前回よりも大きいのが来る!ってテレビでも言ってて
電車も皆止まって、結局、全然大した事がなかったあの台風

あの日に俺は喪主をしてたんですよ。汗だく

親父!!!いつ死ぬねん!!!ですわw

しかも親父は熱烈な創価学会員で
親族葬とか言ってたくせに、葬儀当日、学会員が来るわ来るわ
台風迫る中なのに・・・結束力強いのーーー!!!

あっ、こんなん言うたら怒られるなw

マジで親族だけの葬儀やと思ってたので

「おいおいおい、喪主の挨拶の言葉とかどうするねんーーー?」

と葬儀の時はもうその事だけが、頭の中をグールグルですわ

喪主なので、焼香の時も来て頂いた方々へ都度、お辞儀もしないとイケません。
神妙な顔をしてお礼をしているものの
頭の中で喪主の挨拶の言葉を探る!!!💦💦💦

遂に進行役の女性が
「それでは、喪主様からの皆様へのご挨拶です」
と促されたーーーー!!!!

腹をくくれーーー!

「本日は台風迫る、この様な悪天候の中、父の葬儀にご会葬下さいまして誠にありがとうございます。
また本日は親族のみでの葬儀の心づもりで居りました所、この様に沢山の皆様からお見送り頂ける事、きっと故人もさぞ喜んでいるモノと思います。残された私どもは、まだまだ未熟で御座います。今後とも、どうぞご指導、ご鞭撻の程を引き続き何卒ヨロシクお願い致します。
繰り返しになりますが、本日は親族のみでの葬儀と私自身、思っており他の言葉を用意しておりませんでした。誠に恐縮では御座いますがこれをご挨拶に変えさせて頂きたく思います。誠にありがとうございました。」

何と言う事でしょう!

勿論完璧とは言えないものの
何故か上記した言葉がつらつらと出たのです。
葬儀進行中に必死のパッチで考えていたとは言え
自分でもびっくりーーーー!w

と言う事で何とか難を乗り切ったのですが
台風が直ぐそこに迫っています。

でも、これから親父を焼き場に運んで行って
二時間ほど待ってから再度、お骨上げを済ませるまで終われません。

親父の棺桶と一緒に写真、位牌を持ち一緒に焼き場へ

その時、ついに雨がポツリ…ポツリ…と来出した…💦💦💦
その上、近所の学校か役場か知らんけど

サイレンと警報の異様なアナウンスが流れだしたーーー。💥

そのサイレン音とアナウンスを聞きながら喪服姿の一団が焼き場へ

何とも滑稽なシーンでした。

二時間待ってお骨上げも何とか済ませ

さぁどうする!?
親父側の身内は近所に家があるから帰れるけれど
俺はどうしたらよかんべ???汗

幸い、台風とは名ばかりの弱い雨と時々吹く風だけです



地下鉄はどんどん止まって行きます。

スマホで知らべると辛うじて千日前線と谷町線は動いているとの事
そこで葬儀屋さんが車で千日前線の駅まで送りましょうか?

と言う愛の言葉!!!💕

そのお言葉に甘えて送って貰い
なんと奇跡的に谷町線経由で家まで帰れたではありませんか!!!

あぁ、良かった!

って親父が死んだのに良かったは…無いか。。。

俺と親父が二人になった時に話が出来ていたら
聞いてみたかった

きっと死期を悟っていたと思うので
そんな中、どんな思いで居るのか・・・を。
残酷な話なので聞けなくて良かったのだとは思いますが
言うても俺の親父なので、聞いたらどう言うんやろ?って
今でも考えてしまいます。

また、アウェーだ!とか書きましたが

腹違いの妹や弟たちは凄く良い人達です。
至極、まともに育っていると思います。
あの親父の元で育ったので酒乱と暴力に苦しんだのは
俺と同じですがね。

今後は妹達とも関係を続けて行きたいと考える様になりました。

俺はもうエエおっさんやけど
それでもまた少し成長したよ。親父

















posted by Leach at 03:23| 大阪 ☀| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする