2018年10月29日

台風と親父



あーーーブログ書かなアカンなぁーーー!

あぁぁぁ!これ書きたいなぁーーーー!

良し!これを書こう!!!




なーーーーんて思いつつ
日々襲い掛かる想定外な出来事に追われ
めためた期間が空いてもたたたた。。。


でも!今日こそは!書く!w


相変わらず前置き長いけど💋


先ず、本日お知らせする事は・・・

父身罷る

です。


言うても亡くなったのは9月下旬ですので
もうそれなりに日は過ぎましたが・・・。

このブログを遡れば自分と父の関係性はお判り頂けるとは思います

んな面倒な事はしたくねー
と言う方の為にも少し説明します

父は自分が中学一年生の頃、母(故人)と別れて新しい女と一緒になりました。

自分も中二から三年に掛けて、その新しい母と共に暮らす事になりますが
その母の金を俺が盗んだ!と疑われ
反抗して裸足で家を飛び出し、そのまま実の母の所に逃げましたw
(この辺の話もまたします)

まぁ、色んな事があり
俺と父親は会えば常に喧嘩必須です。勿論、自分は暴力は振るいませんよ
振るうのは一方的に父親です。
なので、同じ空間には居れない者同士なのです。

今、現在、同胤同腹の妹は既に故人で
戸籍上では他に、腹違いの妹二人と弟二人が居ます。
彼らに取っての自分はある意味、幻の兄・・・。

疎遠になってもお互い何の問題も無い関係性です。
正直、自分は親父と縁を切りたいとも思って居ました。

が、父の妹、所謂、自分の叔母とは
ずっと仲良くさせて貰っているので
その叔母との関係性から、父との縁が辛うじて残っていたに過ぎません。


所が、7月下旬に、その叔母から
父がもう長くないのでお見舞いに行ってあげてと連絡が入りました。
顔を合わせば常に喧嘩の間柄である事は周知の事実ではありますが

以前に肺気腫で片方の肺が潰れ
連絡が来た時には残りの肺も癌に犯されており
以前の様な親父では無い事は理解出来ます

が、逆に自分が行く事で死期が近い事を教える形にはなるのでは?
と言ったのですが

父自身が

「あいつはワシの息子じゃからきっと来る!」って言ってる

との事で行くことにw

因みに父親は島根出身で、もうずうううううううっと大阪に住んでいながら
島根弁が抜けない人でした。日本人皆が頑なに生まれ育った土地の
イントネーションを守るべきだと思う俺は
その部分だけ父親はエライと思ふ。(そこかい!)

って事で
長女の家で療養中の父を見舞いました。
もう自力での呼吸も困難な状態で酸素吸入をしていましたが
会話は出来る状態だったので
少し他愛も無い会話をして

お土産とお金を渡して帰りました。

本人は気丈に頑張って生きるって言ってましたが

それから2日後に状態が悪化したとの事で入院したと連絡が入り
再度、見舞いに行きました。

医者曰く

痛みが出ると暴れるので
その場合は痛み止めで眠らせる事になります。
そして、痛み止めが効かなくなってくると
最終的にはモルヒネも使用します。
その段階になると長くは持たない

との事でした。

そしてまた数日後に妹から
親父が病院で言う事を聞かないのと
軽く譫妄(せんもう)が始まったので

本人のストレス改善の為にも自宅療養が良いのでは?
と勧められ再度、自宅へ戻す事になったと連絡が入りました。

お陰で、また少し持ち直したのですが

遂に九月の下旬に再度、悪化し入院します。
この時は、もう会話も出来ずに苦しそうにしていました。
俺が傍に行っても目が全く合いません。
正に宙を見つめる感じです。

妹達を先に返し、親父と俺が二人になった時
さっきまで苦しそうにしていた親父が大人しくなり
宙を見ていた筈の目で
俺をじっと見ていました。

何か言いたかったのかな・・・。

もしくは朦朧とした状態で俺を見ていただけなのかな・・・。

そこは分かりません。

そして二日後に亡くなりました。



ここで大きな問題が!!!

俺が喪主!?

正直、親父が亡くなってしまっては
俺、アウェーなんですけど?汗

叔母が居るものの
後は親父の家族です。戸籍上では繋がっているとは言え
これまでホンマに疎遠だったので…。

にも関わらず、お前が長男だから喪主をやってくれってーーー?汗

まぁ、母親が亡くなった時も
妹が亡くなった時も俺が喪主を務めました。

ですが今回は
親父と腹違いの義母との間に出来た長男も居るしねーーー。

最初は断ろうと思いましたが
その長男は現在東京で仕事の都合で戻れないかも知れない
と言う事と、家族葬で親族だけで見送る形だから・・・

と言う事で

まぁ、最後位はちゃんと送ってあげよう!と引き受けました。
言うてもマジの長男は俺なので・・・

世間の長男の皆さん!!!
その覚悟ありますか!?w

前回のブログで書きました物凄い台風の話ありますよね?
その後に、また台風が来たでしょう?
また前回よりも大きいのが来る!ってテレビでも言ってて
電車も皆止まって、結局、全然大した事がなかったあの台風

あの日に俺は喪主をしてたんですよ。汗だく

親父!!!いつ死ぬねん!!!ですわw

しかも親父は熱烈な創価学会員で
親族葬とか言ってたくせに、葬儀当日、学会員が来るわ来るわ
台風迫る中なのに・・・結束力強いのーーー!!!

あっ、こんなん言うたら怒られるなw

マジで親族だけの葬儀やと思ってたので

「おいおいおい、喪主の挨拶の言葉とかどうするねんーーー?」

と葬儀の時はもうその事だけが、頭の中をグールグルですわ

喪主なので、焼香の時も来て頂いた方々へ都度、お辞儀もしないとイケません。
神妙な顔をしてお礼をしているものの
頭の中で喪主の挨拶の言葉を探る!!!💦💦💦

遂に進行役の女性が
「それでは、喪主様からの皆様へのご挨拶です」
と促されたーーーー!!!!

腹をくくれーーー!

「本日は台風迫る、この様な悪天候の中、父の葬儀にご会葬下さいまして誠にありがとうございます。
また本日は親族のみでの葬儀の心づもりで居りました所、この様に沢山の皆様からお見送り頂ける事、きっと故人もさぞ喜んでいるモノと思います。残された私どもは、まだまだ未熟で御座います。今後とも、どうぞご指導、ご鞭撻の程を引き続き何卒ヨロシクお願い致します。
繰り返しになりますが、本日は親族のみでの葬儀と私自身、思っており他の言葉を用意しておりませんでした。誠に恐縮では御座いますがこれをご挨拶に変えさせて頂きたく思います。誠にありがとうございました。」

何と言う事でしょう!

勿論完璧とは言えないものの
何故か上記した言葉がつらつらと出たのです。
葬儀進行中に必死のパッチで考えていたとは言え
自分でもびっくりーーーー!w

と言う事で何とか難を乗り切ったのですが
台風が直ぐそこに迫っています。

でも、これから親父を焼き場に運んで行って
二時間ほど待ってから再度、お骨上げを済ませるまで終われません。

親父の棺桶と一緒に写真、位牌を持ち一緒に焼き場へ

その時、ついに雨がポツリ…ポツリ…と来出した…💦💦💦
その上、近所の学校か役場か知らんけど

サイレンと警報の異様なアナウンスが流れだしたーーー。💥

そのサイレン音とアナウンスを聞きながら喪服姿の一団が焼き場へ

何とも滑稽なシーンでした。

二時間待ってお骨上げも何とか済ませ

さぁどうする!?
親父側の身内は近所に家があるから帰れるけれど
俺はどうしたらよかんべ???汗

幸い、台風とは名ばかりの弱い雨と時々吹く風だけです



地下鉄はどんどん止まって行きます。

スマホで知らべると辛うじて千日前線と谷町線は動いているとの事
そこで葬儀屋さんが車で千日前線の駅まで送りましょうか?

と言う愛の言葉!!!💕

そのお言葉に甘えて送って貰い
なんと奇跡的に谷町線経由で家まで帰れたではありませんか!!!

あぁ、良かった!

って親父が死んだのに良かったは…無いか。。。

俺と親父が二人になった時に話が出来ていたら
聞いてみたかった

きっと死期を悟っていたと思うので
そんな中、どんな思いで居るのか・・・を。
残酷な話なので聞けなくて良かったのだとは思いますが
言うても俺の親父なので、聞いたらどう言うんやろ?って
今でも考えてしまいます。

また、アウェーだ!とか書きましたが

腹違いの妹や弟たちは凄く良い人達です。
至極、まともに育っていると思います。
あの親父の元で育ったので酒乱と暴力に苦しんだのは
俺と同じですがね。

今後は妹達とも関係を続けて行きたいと考える様になりました。

俺はもうエエおっさんやけど
それでもまた少し成長したよ。親父

















posted by Leach at 03:23| 大阪 ☀| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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